自分はあんな人たちとは同じではない、と信じたかった
【修了したMYさん】自分はあんな人たちとは同じではない、と信じたかった
終了コース | CPM1・CPM2・CPM3 |
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受講してよかった? | はい。以前より錯覚の殻がはがれてきたように思います。 |
- CPM3まで修了したMYさんのレポートです。
- 始めたころと比べたら周りの状況も自分の気持ちもだいぶ穏やかになったと感じます。
CPMを受講し始めた時期は、出会ったことのないタイプの人や状況が一気に押し寄せてきていて、パニック状態に陥っていました。
いままでに感じたことのない量の怒りや、どうしていいかわからないと感じることが度重なり、すがるような気持ちでCPMを開始しました。
CPM1を呼んだ時点ではまだ、これは精神論的なもの、道徳的なものに近い原理なのかな、ととらえていました。
CPM2を初めてもっと深いものだと思い知り、CPM3では勉強のしたことのない化学の分野からのアプローチで、CPMは想像していたもより壮大で孤独で不確かで、謎が深まった気もします。
今も信じているようで、でもまだ信じきれないほど不思議に満ちていて、そのせいかまだ錯覚が取り切れていないと思います。でも以前よりは信じる気持ち、錯覚の殻がはがれてきたように思います。
今思うと、あの苦しみは自分が一段階成長するために必要だった時期なのかもしれないと思います。
また、過去に繰り返されてきたそれらの苦悩や障害を乗り越えてきたことも、必要ない障害をつくり、それを0に戻してまた障害をつくり、解決していく、ということの繰り返しを自分で作り出して満足していただけなのかもしれないと感じました。
始めたころは当時起きていたこと、怒りを感じていた人に対する自分の考えが、自分も言われていることと信じがたく、なかなか認めることができませんでした。
自分が絶対そんな人たちとは同じではない、と信じたくて仕方がありませんでした。
我儘で傲慢で強欲で常識がなくて頭が悪いのに自分が信じたことが正しいと思って疑わない迷惑ない人と同じだと…。
でも自分も同じだとやっと最近認めることができてきました。
そして、そんな我儘な思考や傲慢な思考などは自分には必要ないと本気で思います。
なんであの人達は間違った道を正そうとしないのか、それどころか私たちや周りの人に強要しようとするのか、腹が立って仕方がありませんでした。
しかし、自分が正しいと思っていて、相手にわからせようとしているのは、私が怒りを持っている相手だけでなく、私自身も同じ考えを持っていることにふと気づきました。
自分が変えることを認められないのであれば、相手も考えを変えるわけがない。
その事に気づいてから、自分が相手に思っていることは自分も言われていること、という事をやっと受け入れることができました。
相手の主張と自分の主張があまりにも違いすぎて、周りと自分が「同じ」とはなかなか気づかなかったのですが、主張の内容ではなく大枠の現象が「同じ」だと気づくまでに時間がかかりました。
そしてもうひとつ、苦手だと感じていた上司の態度が最近変わってきたように思います。
その上司の苦手な部分である、比較すること、評価を気にすること、自分はできるとおもっていたこと、仕事熱心だと誇りに思っていたこと、長時間仕事に打ち込んでいること、仕事中心の生活を良しと考えていたこと、人を信用していないこと、変なところで気が弱いこと、権力に弱いところ、言い方がきついところ、自分のやり方を押し付けるところ、感情で意見を組み立てるところ、仕事を抱えこむところ、仕事を振るのが下手なところ…。
全部自分が気にしていて見たくなかった、自分の嫌なところでした。
これを気づく過程で押し込めていた怒りという感情や、自分が羨ましいと思っていたことに気づくことができました。
また、想いを募らせていたある男性に対する執着も薄れ、今では新しい出会いが楽しみです。
どんなステキな男性が自分の前に現れるのか、どんな時間が過ごせるのかイメージして楽しんでいます。
それと共に、母の体調や精神状況もだんだん変化してきました。相手にしてほしいという気持ちが薄れたからかもしれません。
やりたいこと、趣味も広げようと、行動範囲や人と会う機会も広げてみたいと思っています。以前は好奇心が消滅しかけていましたが、徐々に戻ってきています。
お金が欲しいと思ったら、不意にボーナスを頂いたり、最近量子論を取り入れたドラマを目にしたり、ちょうど量子論を説明する番組をテレビで見かけたりして、タイムリー何だと感じることも起きています。
また、以前は将来への漠然とした不安が減りました。
自分の自信の無さからくる不安だったと思います。
自由に決められる、コントロールできると思ったら心配する必要がないとなんとなく感じることができるようになってきました。
こうしたちょっとした変化の積み重ねで、周りの出来事は自分の思考の現れだと感じてきました。
現在、怒りの感情などが収まった状態に来て、本当は自分が何を望んでいたか、理想の姿や生活のイメージを一切持っていなかったことに気づきました。今までの自分はただぼんやりとした意志で日々流されるように生きてきたようです。
自分がどうしたいのか、自分の思い通りで楽しい人生をつくる段階に来たと思います。
これからはもっとダイレクトな創造を楽しめるように、自分の人生をコントロールできるようになりたいです。今はまずは自分の理想がどんなものかはっきりと見つけたいと思いっています。
●これから100%自分原因説を学びたい人へ
自分を見つめなおすことになります。普段、感情を抑えたり理性的にふるまおうとしている人こそ、必要かもしれません。自分の本心が何重にも偽善で無理固められているためです。自分は何を求めているのか自分でもなかなかわからなくなっています。本心を押し殺しているとどうしたいのか、探ること、気づくこともなかなか難しいです。
CPMは自分を改めて見直す機会にもなると思います。そしてCPMをしっかり理解することで自分が望んでいる本当の望みを知り、現実化していくことができるようになると思います。私はまだそこまでは至っていませんが、学ぶことができてよかったと思っています。
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