酷い自分を認めたら酷い人間になってしまうと思っていた
【修了したREさん】酷い自分を認めたら酷い人間になってしまうと思っていた
終了コース | CPM1・CPM2・CPM3 |
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受講してよかった? | はい。自分とつながっていることが体感できるようになった |
- CPM3まで修了したREさんのレポートです。
- ●CPM1~3を学んでどのように感じどのように変わってきたか
すごく面白かったです。
やはり私は意識の世界が大好きだなと思いましたし、
こういう分野の勉強ができるということ自体がとても幸せに感じました。
マスターコースを学んでいる最中に
生活の中でもたくさんの気付きがあり、
いままで散らばっていた知識がひとつにまとまってきた感覚があります。
CPM2を終えたレポートでも書いたのですが、
3年前の自分と比べるとだいぶ意識の変化が
あったんだなと認識することができ、
それがとても大きな気付きとなりました。
CPM2を終えたレポートでは
「わがまま」や「ずるい」を例に挙げて書きましたが、
それ以外の全ての自分の中にあるものを
いつの間にか私は許していたのだと思います。
この3年でなぜ自分の全てを
受け入れることができたのか、改めて考えてみました。
他人を見て、
自分の内側が反応を起こすということは
そういう欠片が自分の中にあるということを
100%自分原因説で学びましたが、
3年前はそれを受け入れられる自分と
受け入れられない自分がいたのかもしれません。
「あんな人と自分が同じわけがない」
そういう感覚を少なくとも持っていたと思います。
以前はわがままな人やずるい人はもちろん、
自分の価値観を押し付けてくるおせっかい人間、
自分大好きなナルシスト、
性格悪い意地悪な人、
媚を売ってるぶりっ子、
お金大好き守銭奴人間、
冷酷、傲慢、独裁的、そういう人たちが大っ嫌いでした。
「そんな人間許せない、信じられない!」
「私は調和を図れる人間、みんなに気を使える人、空気を読める常識人。」
私は善人、私は善良。
そう思い込みたかったですし、
「そんな酷い部分私にはない」と思っていました。
でも1年くらい前に
ある本の一説を読んで考えが少しずつ変わりました。
冷酷、傲慢、純粋、善良、、、
存在とはこれら全てを持ち合わせているもの。
誰もが持っているもの。
そういう考えに行きつきました。
「私が何者であるかを理解すれば、少しは謎が解けるだろう。
わたしは神である。わたしは女神である。わたしは至高の存在である。存在する全てである。始まりであり終わりである。アルファでありオメガである。わたしは太陽であり物質である。問いであり答えである。上昇であり下降である。左であり右、現在であり過去、未来である。私は光であり、光を創造し、光を可能にする闇である。わたしは限りない善であり、善を善たらしめる悪である。わたしはその全てであり、存在する全てである。そしてわたしは自分の全てを経験せずに、一部だけを経験することはできない。」
つまり、「私はこの世の全てである。」
CPMでもこういった言葉は何度も出てきました。
私の中には全てが在る。
全てを含めたものが私なんだ。私の存在そのものがその全てなんだ。
このことが腑に落ちた時に、
自分の中にあるものを少しずつ認められるようになった気がします。
例えば、本当の本当の究極の状態の時、
私はどんな感情を持つか
どんな行動をするのか分かりませんし、
善人でいれる自信もありません。
(羅生門のような知らない自分が現れる可能性もあると思います。)
「私は善を善たらしめる悪である。」
この言葉はすごくインパクトがありました。
善は善だけでは存在し得ないんですよね。
悪がなければ善というもの自体認識できない。
両極は常にセットである。
でなければこの地球という場所で様々な経験はできない。
この世界は本当によくできているなと深く納得し感心しました。
(この世界も私が創っているのなら私って相当すごい!)
否定して認めたくない部分が他人を通して現れる。
その人は私。その人は自分の欠片。私の一部。
そんな自分をひたすら認めました。
どんなに酷い自分を認めたとしても私の存在は傷つかない。
存在そのものと私の資質は関係ないから。
どんな感情を持ったとしても
相手に矛先を向けるのではなく、
自分の感じ方、自分の感情に目を向ける。
相手のどこが嫌だったのか、なぜ嫌だと思ったのか。
相手を批判したくなる前に自分に問いかける。
そしてどんな自分も認める。
酷い自分を認めたら酷い人間になってしまう
と思っていたけどどうやら全く逆でした。
心の底から認められた時、
よやく自分も他人も許せる本当の心の平和がそこにはありました。
こういったことをコツコツと3年間続けていたと思います。
「いい人」と思われたいという気持ちももうありません。
「好かれなければ、感謝されるような人でいなければ」
という思い込みから当時は
嫌われることにそうとうな怖れを抱いていたのだろうと思います。
いまは等身大の自分が本当に愛おしいですし、
自分の全てを認めるということは
とても気分のいいことだと気付きました。
自分を責めることも
相手を責めることもなくなり、
嫌われようと好かれようと理解されなかろうと誤解されようと、
そういったことへのこだわりが消えて、
ただただ自分が今この瞬間自分とつながれているかどうか、
自分自身に目を向けれているかどうか
それだけが気になるようになりました。
これらのことを通して
根底から潜在意識が書き換わったような感覚があります。
自分では全く気付かなかったですが、
たぶん見ている世界も変わっているでしょう。
私はこの3年でやりたいこともできて、
夢も叶ったり、会いたい人に会えたり、
本当にたくさんの喜びを経験しました。
でも一番の喜びは
自分とつながっていることが
体感できるようになったことです。
この深い安堵感、
幸福感の中にいれば何も怖くない。そう思えます。
逆に例え世界中から愛されていても、
自分とのつながりを絶っていたら
きっと不安だろうと思います。
いつ失われるか分からない恐れが今度は出てくるからです。
真の幸せとは、
真の人生の成功とは、内なる自分と調和していること。
今現在の私の答えはここに行きつきました。
CPMではまた違った角度で勉強できて
(結論は同じですがアプローチが違ったり、科学的に勉強したのも始めてでした)
いままで自分の中でバラバラだったものが
ようやく一つにまとまって、
こうやって文章化することでより理解も深まりました。
3年間で自分に何が起こっていたのだろうと
最初は不思議でしたが分析するととても楽しかったです。
今まで何かにお金を払って学ぶ時は、
足りないものを求めていたと思いますが、
今回は違いました。
自分が満たされた状態で
学ぶことはただただ楽しさのみで、
この2か月ずっといい気分で過ごせています。
セミナージプシーという言葉がありますが、
こんな風に学べるならいろいろ学んでも
きっとどれも楽しめる気がします。
そういう人が
これからどんどん増えるんじゃないかなとも思います。
今までのやり方が古くなる時がくるかもしれません。
でもまだまだ意識の研究がしたいなとも思います!
まだまだ気になることいっぱいあります!
自分を使って実験中です。
これからも楽しく実験していきたいなと思います。
マスターコースとても楽しかったです。
ご指導いただいた皆様本当にありがとうございました。
●これから100%自分原因説を学びたい人へ
私は自分なりの答えを持って
マスターコースを受けましたが、
新たな発見があったり、
新たな視点を持てたり、
受講中に大きな気づきがあったりと
得たものはとてもたくさんありました。
パズルのピースがはまり、意識の拡大があったように思います。
いろいろな知識は持っているけど、
腑に落ちないことがある方や
自分なりの答え合わせにもとても良いと思います。
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