受講生の声

こんな私は幸せを望んではいけないんだと自分を責めていました。

【CPM2まで終了したYOさん】こんな私は幸せを望んではいけないんだと自分を責めていました。

終了コースCPM1/CPM2まで
受講してよかった?はい。自分の望む方向にフォーカスするようになれていると思います。
CPM2までのご感想をお願いいたします。
<CPM2までを終えて>
まりあさんのブログや書籍を読み、わかったつもりになって、実践していたはずでしたが、自分の思うような結果が得られませんでした。

早く結果を求めすぎて、単に思考の量が全然少なかったのかもしれません。また、自分がまだ腑に落ちていない、納得できていない部分があるから叶わないのかな?と思い、詳しく学びたいと思ってマスターコースを受講しました。

受講する前、社会人になってからずっと自分の周りに似たような人が必ず一人は居ました。その人は自分が必ず怒りっぽくて怖いと感じる人でした。そんな人がどうして自分の周りにいるのか、それがCPMを通してわかりました。

私が幼い時からずっと「私は傷ついてきた」という怒りを自分の中にもっていたからだということに。怒りを持っていたことで、そんな人を自分の周りに、すぐ怒る怖い人を現実にしていたのだなとわかりました。

そして、怒りを持っていたと同時に、ずっと自分を責めていました。


人を失望させてしまった、期待に応えられなかった、こんな私は幸せを望んではいけないんだと自分を責めていました。自分が自分を責めていた、だからこそ、自分は他人に責められていたのだとわかりました。自分=周りの人なので。

また、思考の書き出しをしていくと、自分で思っている以上に、生きることが「めんどくさい」と思っていることが多いと感じました。

なので、いろんなことを後回しにしたがるクセがあるなと思います。

CPMのレポートもどんどん後回しにしようとしている自分に気づいたので、今こうして書いています。


後回しにばかりしていると、自分の望みや幸せも自分で後回しにしているようなものとわかったからです。


しかもめんどくさいと言って後回しにしているとどんどんめんどくさいことを自分で招いているようなものになり、停滞、負のループにハマってしまうのはいやなので、「自分はできる」と思いなおしています。

さらに「しょうがない」というあきらめの言葉の多いことがわかりました。

子供のころ、祖母からよくそう言われていたので、「この世の中には自分ではどうしようもないことばかり起こるのだ、そんなときはあきらめろ、と、むしろ、それを何とかしようと思うな、しょうがないんだから、そのことについて考えても仕方ない」という意味で「しょうがない」が使われていた、そのため、思考をそこで止めるようになってしまったと思います。

「しょうがない」は自分から思考のパワーを奪ってしまう要注意ワードだと気づきました。


世の中には自分でどうにか出来る領域と、絶対にどうもできない領域があると思い込んでいたのもこのせいだと思います。この錯覚に気づき、自分てすごい力を持っているのだなと思いました。


CPMを学ぶ前の私は「私は悪くない、悪いのは周りだ」と被害者意識満載でした。

「なぜ私ばっかりこんな目に合うのか理解できない、悪いのはあの人なのに」と思っていました。



学習を始めてからは、
自分=周りの人なので、私自身が自分を認めいていない、受け入れていない、責め続けていることがわかったので、怒りや憤りを感じると、自分の中の思考が原因なんだと、内側に原因を見つけることが出来るようになったと思います。


過去の後悔、未来への不安などで自分の思考エネルギーを浪費していたところから、今の自分の気持ちをとりあえず全て認めて、少しずつ自分の望む方向にフォーカスするようになれていると思います。


常に「今」しかない、ということも理解しているつもりなのですが、そのことを忘れてよく思考が過去にいったり、未来に行ったりしています。
ポジティブなことでなら良いのですが、不安や後悔、あの時感じた怒りというものに意識がいっていることがあります。


今までは、「そういうことを考えている時間のほうが長い」と自分で気が付かずに垂れ流しにしていましたが、「まずは自分がそういうことを今考えている、と客観的に気づく」というところまでは気づけるようになったと思います。


そこからの、「自分が本当はどうなったらよかったのか、何を望んでいるのかということを意識的に考える」ところまでは、まだ感情に飲まれることがあり、そんな気分になれない、と思ってしまいます。


それでも気づくことはでき、ネガティブを止めようと思える、そんな自分がいる、ということも認め、ネガティブを考えていたい、浸っていたいという自分も認め、落ち着かせることはできてきていると思います。


この飲まれる、そんな気分になれない、というのは「取り残された感情が暴れている」という感覚だと思います。


私の中にはこういった「過去のあの時の怒り」が取り残されたままくすぶっているものが多いのだと感じました。

感じてどんどん認めていって自分を癒していきたいと思います。
現実には大きな変化は感じられていないので、まだ「認める」、「今を大切にする」を丁寧に楽しみながらやっていきたいと思います。

CPM3を学ぶのを楽しみにしています。



<これからCPMを学ぶ方へ>
 周りの人、環境さえ変われば自分は幸せになれるのに、と思いがちですが、そんな難しいことよりも自分の思考を変えた方がはるかに楽になるし、自分が変わることで、他人にも影響を与えることが出来ると理解できるようになると思います。自分のため、自分で腑に落とすため、自分の人生の舵を自分で取るために学習することをお勧めします。

CPMマスターコース詳細はこちら

CPMマスターコース詳細はこちら