受講生の声

夫に食べさせてもらっている自分は、生きている価値はないと

【CPM2まで終了したMSさん】夫に食べさせてもらっている自分は、生きている価値はないと

終了コースCPM1/CPM2まで
受講してよかった?はい。どんな自分も認めていいんだ、とホッとしました
CPM2までのご感想をお願いいたします。
●テキスト1と2を詳しく学習してみて
まりあさんのブログに出会ったのは、今から5年くらい前でした。

ちょうど夫の転勤で今の土地に引っ越してきて
しばらく経った頃のことです。

度重なる転勤での引っ越しと、
その都度就職活動をしていたことに疲れ果ててしまい、
無気力になったり絶望感に陥ったりの生活を送っていました。

本当は仕事が好きなのに、
楽しく仕事をしていても
また転勤で辞めなきゃいけなくなる…

なにが女性活躍社会だ、ふざけんな!
転勤族の妻にはキャリアもクソもないんだ!と、
やけくそな日々を送っていました。

そんな時に、まりあさんのブログを見て
「私、専業主婦していてもいいんだ」
と少しホッとしたのを覚えています。


どんな自分も認めていいんだ、と。

働かずに夫に食べさせてもらっている自分は
ごくつぶしで、生きている価値はない、
みっともないと本気で思っていたからです。

そこからは、レイキを習ってみたり、
スピリチュアルな世界に踏み込んだりもしましたが、
思ったような変化はありません。

自分の悪い部分が分かっても、
頑固なので認められないし、
どうしてそうなってしまったのか納得できないのです。


そこで、頭では分かっているけど、
何だかしっくりこない、
どうして自分がこうなってしまったのか、
思考が現実化するしくみを学びたいと思い、
マスターコースに申し込みました。


自分の思い込みは何だろう?
もしすべてが錯覚だとしたら?
という目線で日々過ごしていたところ、

思い込みだらけの日々を過ごしていることに
だんだん気が付いてきます。

食事をする時には
「これおいしいし、大好きだけど太りそうだよな~」とか。

買物をする時も
「安いものを買おう。高いものはダメ」なんて思い込んで、
自分が欲しいものよりも値段で選んでしまう。


いちいち「これ太りそう」だという思い込みを持ちながら
好きなものを食べているわけです。

たまたまその時、
「もっと100%自分原因説で物事を始めてみたら・・・」
という、ワークが多く載っている本を読んでいたので、
その中の「おいしく楽しくやせられるダイエットワーク」
を試してみました。

食べ物を口にする時に、
ニッコリと見つめてから食べるというものなのですが、
これをやったところ「おいしーーーーー!」と、
びっくりするほどおいしく感じたのです。

今まで「おいしい」って感じていたのは上辺だけだったんだ。


ちゃんと味わって食べていなかったんだ、と。
そして心の底から、食べ物への感謝の気持ちが湧いてきました。


私は大しておいしい料理なんて作れないと思っていましたが、
「卵焼きおいしいじゃん!」と、
自分が作った料理にいちいち感動したりします。


買ってきた1袋88円の安い肉団子でも、
「安くてもおいしいじゃん!」と、
とにかく心の底からおいしく味わうことができるのです。


今まで自分が、
「自分の料理の腕前なんて大したことない」
「安い肉団子なんてそれなりの味」という思い込みを
作ってきたわけです。


つまり、自分が作ったものも、
自分が好き好んで買ってきたものも、全否定してきたのです。


「おいしいよ」と食べてくれる夫にすら、
「いやいや、そんなことないよ」
などと否定してきたということも分かりました。

自ら率先して安い肉団子を買っているくせに、
「どうせ安いものだから」と見下しながら食べていた訳です。


こんなにニッコリ笑いながら食べるだけで、
味がしっかりわかかっておいしく幸せを感じられるなんてすごい。

安くても優しい味だとか、
作り手の思いが詰まってるような気がする、
ということまで感じられるんだ!と、
今まで味わったこともない幸福感みたいなものを感じました。


それと同時に、
値段で判断するのは作り手側にとって、
とても失礼な事ではないのか?と、
今まであらゆるものを見下してきた自分にも気付きました。

わざわざ見下すものを好き好んで買っている。

自分にはそういう安いものしか買えないと思っている。

それは夫の給料も否定していることで、
そんな夫を選んだ自分も否定しているということになる。

こんなにニッコリ笑いながら食べるって、
食べ物とちゃんと向き合って食べることなんだ。

私は食べ物どころか、
人に対しても真摯に向き合ったこともなかった。

元々上から目線なのですが、
どこまでも自分は失礼なやつで、
何と傲慢な人間なんだとあらためて思ったのです。

そして何かに
「向き合うこと」がどういうことなのか、やっと分かった気がします。


そしてCPM1の心のトリップワークもしていたのですが、
その時に「もっと私を満足させてよ!」と
ずっと思っていたことが分かりました。

常に誰かに期待して、モノにも期待して
「私を満足させてくれない人は(モノは)いらない!」
と不満だらけの自分が見えたのです。

人もモノも、自分が好きで選んできたのに、
好き好んで買ったものにすら不満を募らせている。

私はなんて失礼で傲慢な人間なんだろうというのが、
このワークでも一瞬で見えたのです。

そんな不満100%の人間が、
たとえば「毎日感謝ノートを書きましょう」などと言って
ノートに感謝をつづったところで、心から感謝できるわけがない。

ベースが不満で塗り固められているところに
感謝を上塗りしたって、上辺だけの感謝なだけで、
ボロ(不満)が出てきて感謝が定着できる訳がないのです。



私は、不安とかおそれ、
心配などのネガティブな感情を感じるのは得意ですが、

嬉しい、楽しい、幸せなどのポジティブな感情を
感じるのがとにかく苦手でした。


こんな不満だらけの人間が、
ポジティブな感情など感じられる訳がない、
感じる余地などない。そうハッキリ感じたのです。


でもその不満も、
ネガティブな感情もすべて錯覚だとしたら?

日々、一瞬一瞬考えていること全てが思い込みで錯覚だとしたら?

私の生活すべてが思い込みでできている。

それらから抜け出したらどんな自分になるだろう?
今はどんな思い込みを持っているのか、
日々楽しみながら探しているところです。



●これから100%自分原因説を学びたい人へのメッセージ
自分が当たり前だと思っていて、
何の疑いも持っていないものが「思い込み」です。
あまりにも当たり前すぎて気付かないんです。
たとえば「~な○○さん」・・・こわい同僚の○○さん。
~の部分が思い込みです。
私は常に人の上辺だけを見て、決めつけて思い込んできました。

人だけでなくあらゆる物事に対してでもです。
私は何を食べても太っちゃう・・・こんなのも思い込みです。

これらから抜け出すことが出来たらどんなに楽だろう?
そう思いながら、今マスターコースを学んでいる最中です。

頭だけで理解していて、
まだまだ腑に落ちていない部分もありますが、
テキストを読み返す度に理解が深まる感じです。

CPM3に進むのが楽しみです。

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